20100425

「多世代の家」@ドイツ














社会の原点への回帰を実現する「多世代の家」/日本生命フランクフルト事務所 久万明子(2010)[PDF]

○「多世代の家」とは?
・若年層と高齢層、子どものいる夫婦、または夫婦のみ、母子家庭、独身者等、様々な立場の幅広い
世代の人々が同じ場所で、互いに助け合いながら生活することを目的としたドイツの集合住宅。
・若年層から60歳以上の高齢層まで幅広い世代がバランスよく居住。
・民間の不動産会社が建設。

○これまでの経過
・1994年にケルン近郊のミュンスターランドに初めて設立。
・2000年頃から、同様のコンセプトを持つ物件が流行。
・現在はベルリン地区だけで150件以上。
・ミュンヘン・ケルン・フランクフルトといった大都市から、街作りの中心に「多世代の家」を置く地方まで全国各地に賃貸物件と分譲物件を建設。
・国による手厚い支援や企業との協力関係で施設が増加。

○誕生の背景
・少子高齢社会、核家族化、女性の社会進出、高齢者とその子との同居率の低下
→日本に共通する課題

○入居者の目的
・「孤独な生活を望まない」「子どものために良い住環境が必要」「社会の役に立ちたい」など。

○構造
・住居部分に自由に集まることができ、子どもの遊び場やパーティ会場、趣味の場として利用できる共同空間「コミュニティルーム」を併設。
・バリアフリー環境の整備、エレベーターの設置など、高齢者や障がい者にとって暮らし易い構造。

○サービス
・幅広い世代が参加できる文化教養(文学・音楽・コンピューター・その他生涯教育)や趣味(スポーツ・陶芸・インターネット・テレビゲーム)から、ボランティアや専門スタッフによる支援(暮らし相談や育児関係)までさまざまな活動プログラムを用意。
・物件により、介護サービスを提供する部屋を配置、ケアマネジャーを常駐、託児所を設置、乗用車のドライバーを常駐、クリーニングサービスを提供。
・低料金で食事が取れるカフェテリアや食堂を常設。

○効果
・支えとなる家族を有していない高齢者にとって集合住宅は理想的な住居環境。
・近隣住民が子どもを一緒に育てることが、仕事と育児の両立の助けとなり、出生率の上昇につながる。
・学校や幼稚園から帰宅した子どもを高齢者が世話したり、高齢者が住民とコミュニケーションを取ることを通じた心の健康の維持。
・子ども、高齢者を世話する家族の精神的な負担が軽減。
・幅広い世代が自由に会話できる場があることで、育児・教育や高齢者介護、外国人の生活等といった個々が抱える問題や悩みの相談・解決を行える。

○社会学的考察
・産業・経済の発展に伴い、社会は「ゲマインシャフト(人間が地縁・血縁・精神的連帯などによって自然発生的に形成した集団=コミュニティ)」から「ゲゼルシャフト(人間がある特定の目的や利害を達成するため作為的に形成した集団=ソサエティ)」としての利益社会に発展(ドイツの社会学者F. テンニースの社会進化論)。
・個人主義・利益優先主義社会の弊害や少子高齢社会における諸問題の発生が見られるため、「ゲゼルシャフト」から「ゲマンシャフト」へ共同社会を見直すことが必要。
・人々の精神的な豊かさを取り戻し、将来への不安・閉塞感を打破するための方法論として、「多世代の家」が推進されている。

《感想》
60年代以降の団地化・郊外化による地域の空洞化、85年以降のコンビニ・電話・テレビなどの普及による個人のタコツボ化、市場・行政のサービスの整備による家族機能の低下などが段階的に起きたことによって、我々は「周り以外はみんな風景@宮台」的な非常に小さなテリトリーを築くようになる。

インターネット環境が発達した現在では、そのテリトリー内で行われる安心で安全なコミュニケーションがより強化されてきている。一方で、小さなテリトリーゆえに吐き出しきれない鬱憤が、子どもの虐待など異常な行為に結びつく可能性も指摘されている。

また、自分のテリトリー外である社会との触れ合いを避けることで、他人を信頼するより他人を疑う思考に陥りがちになる。「あいつらは何を考えているか分からない」→「あいつらは敵だ」→セキュリティ強化→不自由な自由。一方で、自分のテリトリー外は「どうでもいい」と捉えることで、自分を入れ替え可能な存在として他者と簡単に関係を持ったり、ケータイの連絡先を消すだけで他者との関係性も消去できる振る舞いが増える。

こうした現象が生まれるのは、社会の包摂性が失われてきているからだろう。つまり、人・共同体は多様であるはずなのに、人・共同体が多様性を受け入れられなくなってきているのだ。子どもが親に相談できない問題は、駄菓子屋のおばちゃん的な存在が対処してくれる。親が子どもの面倒を見切れない日は、隣のお姉ちゃんが世話してくれる。かつては、そういうシチュエーションがあったはずだ。

今後、社会の包摂性を復活させるには、アーキテクチャをいじるしかないと思う。つまり、多様な人・共同体と触れ合える機会が生まれやすい環境をつくるのだ。その具体的なプロジェクトが、今回取り上げたドイツの「多世代の家」。

もちろん日本でも多世代が交流できる「イベント」はある。しかし暮らしの拠点となる「家」は、ただ血縁の二世帯が暮らす機能しか持っていないタイプが多い。地域づくりを考える際は、そこからさらに進んだ血縁ではない人々も気軽に交流できるドイツ的な家づくりに、ぜひ取り組んでほしい。


20100410

Pixels




現実の街が8ビットのピクセルの街に変わっていくショートムービー「Pixels」。


8ビットのピクセルといえばインベーダーやテトリスなどのレトロゲームという単純明快な発想で、
これらのゲームの世界観を活かし現実の街がどんどんとピクセル化されていく。


例えば、パックマンが地下鉄の駅を次々と食べていったり、
ドンキーコングが高層ビルの上から樽を投げ落としたり、
そんなユーモアあふれるシーンの連続。


同じ地球の危機なら、異常気象や戦争よりピクセルのほうが諦め切れるかも。


20100403

美しき日本・奈良







奈良県に関わる四季の風景、文化、思想、伝統、技術などを
3分程度の美しい映像で伝えるプロジェクト「美しき日本・奈良」。

自然への畏敬や人への信頼を持つことの大切さを教えてくれる現地の人々の振る舞い、
あらゆる事象は常に移り変わり続けるという世の摂理を醸し出す町や自然、寺社の様子、

深みのある語りを織り交ぜながら、そんな映像が映し出されていく。
映像全体からにじみ出ているのは、あふれんばかりの“奈良愛”。

それもそのはず。

この映像の監督・語りは、映画『殯の森』でカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した河瀬直美さん。
河瀬さんは奈良県出身で「なら国際映画祭」の構想を練るなど地元の活性化に力を注いでいる方。

彼女独自の視点で描かれた奈良ならではの奥深い世界を味わいたい方は、ぜひ。

ちなみに、このプロジェクトは、「Nippon Archives」の一環として取り組まれている。
「美しき日本・奈良」以外にも、「京都二十四節季」や「万葉集」、「富士山」などの
世界に触れられるコンテンツもある。



20100401

自問自答/Mukai Shutoku acoustic&electric



新宿三丁目の平和武装や 片目がつぶれた野良猫が発する体臭や
堕胎手術や 30分間25000円の過ちや
陰口叩いて溜飲を下げとる奴等や 徒党を組んで安心しとる奴等や
さりげなく行われるURAGIRIや 孤独主義者のくだらんさや
自意識過剰と自尊心の拡大や 気休めの言葉や 一生の恥や 投げやりや 虚無や


くりかえされる諸行無常や


この世の全てを何も知らず この全てをなにも知らず この世の全てを何も知らず
ガキが笑う ガキが笑う この世の全てを何も知らず
行方知れず アイツは姿くらまし 行方知れず アイツ姿はくらまし
冷凍都市のくらし アイツ姿くらまし


くりかえされる諸行無常・・・よみがえる性的衝動・・・


自問自答/向井秀徳アコースティック&エレクトリック@ROCK IN JAPAN FES 2006