20091113
Make An Enemy Of Whole This World /Kazufumi Shiraishi
この世の全部を敵に回して/白石一文(2008)を読了。
様々な例え話を使って問いかけられるのは、「愛」と「死」について。
物語では「死」を「私たちにとってすべての時間において明確な可能性」と定義し、
「生」を「その死の可能性を必死の思いで避けながら
[死んでいない状態]をできるだけ長く継続させていく営みにすぎない」と示す。
そして、死の恐怖から逃れるために愛の力を持ち出し、
「愛を大きなもの素晴らしいもの」として捉える愚かさが記されている。
その理由は、真の愛とは「特別なものではなく」、
「死すべき運命を背負わされた全部の生き物への憐憫」であるからだ。
だからこそ愛に「優先順位をつけ」、「形容詞をかぶせ」、
「幾つもの種類や品質に分けられる商品めいたものにしつらえる」言説に
惑わされてはならないと語られる。
もしそうした「愛」が世界を覆い尽くせば、
「愛は本質を失い、殺戮をも辞さないエゴへと転化してしまう」と警告される。
現に世界はそうなっていると。
また「真・善・美といった至上価値を説き、
それらを追い求めることが人生の目的である強調する者たち」の危うさ・傲慢さも語られる。
そうならないために、恋人や家族、友人、群像などへの愛情を限りなく削ぎ落とし、
「限定された人間関係における理解と承認、愛情の交換といったものが、
私たちをいかに臆病にし、いかに我が儘にし、そしていかに無益なものであるかを
私たちはもっと知らなくてはならない」と説く。
最後は、「あなたがあなたの中にある真実の哀れみをよみがえらせるだけで、
この世界に仕込まれた憎むべきプログラムー
貧困、暴力、戦争、差別、迫害、狂信などが無力化できる」と諭す。
このような物語である。
要は「死」とは自分にとってなんであるかを、
擦り切れて使い古された「愛」とは何かを真摯に考える。
そして、「死」と「愛」を語るより先に、
自分自身の無力さを知り哀れみから出発するべきなのだろう。
「この世の全部」に向けて「愛」を謳う不気味な振る舞いについて、
安っぽくて、想像力の欠片もない奇妙な「愛」について、
そして、そうした「愛」が生まれる背景について、
知れば知るほど、「世界の中心で、愛を叫ぶ」なんて、できないな。
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