20091221
About Emperor Of Japan
映画『太陽/アレクサンドル・ソクーロフ』(2006)を鑑賞。
併せて小説『天皇ごっこ/見沢知廉』(1995)も読了。
膨大な資料と体験と妄想を駆使し、かたや「映画」、かたや「小説」という
”虚構”の物語を手段とし、日本ではタブーの香りがする
「天皇とは・・・」という思考をしっかりと肉付けしてくれるのが両作品だ。
『太陽』は、昭和天皇自身にスポットを当て、
「一人の人間」として生きたいのに生きられない宿命を背負い、
人々に「神=太陽」として崇められ利用される昭和天皇・裕仁の
日常の底知れない苦悩を描いた作品。
『天皇ごっこ』は、天皇を「神=太陽」として崇め、
その大いなるものに寄りかかるが故に発する
「一人の人間」達のいびつな輝きを描いた作品。
昭和天皇の人間宣言以降も天皇という存在が「唯一」の存在である事は自明で、
歴史が証明しているように私利私欲にまみれた連中に利用されながらも、
毅然とした最善の振る舞いで全うされているその役割に、人々は尊敬の念を抱くだろう。
何故なら「自分がもしも天皇の立場になったとしたら・・・」と考えると、
その重荷に逃げ出してしまうだろうから。
それでも、戦前のように天皇を「神=太陽」という大いなるものとして
自身の最大の拠り所にして社会を生きていくことは、
高度経済成長以降の「小さな物語」の世界を生きている
現代人にはあまりにもリアリティがなさ過ぎて、しんどい。
ただ、そういう拠り所があった人達の振る舞いに触れてみると、
実はそうすることこそが共通の「幸福」を得るための
最高の手段だったりするのだろうか?と考えてしまう。
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